「SEED」(作:ラデック・鯨井/画:本庄 敬)の「沈める寺」には、愛媛県の阿久川村と勝鹿村が登場します。
阿久川という川は千葉県と長野県にありますが、愛媛県にはありません。
勝鹿村も茨城県に実在していましたが、1955 年に香取村・桜井村・岡郷村と合併して総和村となりました(その後、総和町を経て、2005 年に古河市・三和町と合併して新古河市に)。
従って、「愛媛県の阿久川村と勝鹿村」は架空の地名でしょうが、ここで重要なのは阿久川村よりも勝鹿村です。
「勝鹿」という地名は、ラデックさんの別のペンネーム「勝鹿 北星」を嫌でも想起させるからです。
勝鹿 北星は葛飾 北斎のもじりですが、葛飾とは東京都葛飾区・千葉県市川市・埼玉県北葛飾郡などの江戸川流域を指します。
万葉集には葛飾を詠んだ歌があり、一部は「勝鹿」と表記されています(歌意:台詞逆輸入)。
- 山部赤人
- 勝鹿の 真間の入江に 打ち靡く 玉藻刈りけむ 手児名し思ほゆ
- 読み「かつしかの ままのいりえに うちなびく たまもかりけむ てこなしおもほゆ」
- 歌意「葛飾の真間で波に揺れる玉藻を刈った、という手児名が思い出される」
- 我も見つ 人にも告げむ 勝鹿の 真間の手児名が 奥つき処
- 読み「われもみつ ひとにもつげむ かつしかの ままのてこなが おくつきところ」
- 歌意「私も見たから他の人にも話そう、葛飾の真間の手児名の墓所を」
- 勝鹿の 真間の入江に 打ち靡く 玉藻刈りけむ 手児名し思ほゆ
- 高橋虫麻呂
- 勝鹿の 真間の井見れば 立ち平し 水汲ましけむ 手児名し思ほゆ
- 読み「かつしかの ままのいみれば たちならし みずくましけむ てこなしおもほゆ」
- 歌意「葛飾の真間の井戸を見ると、しばしば訪れて水を汲んだという手児名が思い出される」
- 勝鹿の 真間の井見れば 立ち平し 水汲ましけむ 手児名し思ほゆ
広辞苑で「(真間の)手児名」を引くと、以下のようにあります。
下総国葛飾郡真間にいたという伝説上の美女。
多くの男子に言い寄られ、煩悶して投身。
万葉集に山部赤人・高橋虫麻呂の追弔歌を載せ、その祠は千葉県市川市真間にある。
ところで、「雑木林の聖夜」の立木の所有者に「チバケンイチカワシ 管 伸吉」とあります。
きむら はじめ = 勝鹿 北星 = ラデック・鯨井さんの本名は菅 伸吉さんであり、「たけかんむり」と「くさかんむり」の違いはありますが、本庄さんかアシスタントのお遊びと考えられるでしょう。
更に注目したいのが、「チバケンイチカワシ」の部分です。
上述の通り、千葉県市川市は葛飾の一部であり、真間の手児名の祠があるのです。
更に、菅さんの母校の小樽商科大学には「北に一星あり。小なれどその輝光強し」という言葉があります。
千葉県出身・小樽商科大学卒業の菅さんが市川市に住んでいたとしたら、「勝鹿 北星」というペンネームは以下のように生まれたのではないでしょうか。
- 小学館「ビッグコミックオリジナル」に「ホット DOC」(画:加藤 唯史)をきむら はじめ名義で連載していた
- 同誌に「MASTER キートン」(画:浦沢 直樹)を同時連載することになった
- きむら はじめ以外のペンネームを使おう
- 名前を変えるのは、生涯に 30 回改号した葛飾 北斎みたいだ
- そう言えば、住んでいる千葉県市川市は葛飾だし、勝鹿の字も当てられる
- そう言えば、母校の小樽商科大学には「北に一星あり。小なれどその輝光強し」という言葉があり、北星の字も当てられる
- よし、「勝鹿 北星」を名乗ろう
ちなみに、他の所有者には以下の名前がありました。
- 「トウキョウネリマク 大門 千春」
- 掲載時点の肩書は不明だが、集英社「MANGA オールマン」編集長
- 「トウキョウネリマク 石川 三朗」
- 「海峡ものがたり」(作:ジョー指月/画:石川 サブロウ)などのマンガ家
- 「藍色の時」の寄書きにも名前あり
- 本庄さんは、石川さんの元アシスタント
- 「サイタマケン 池田 文春」
- 「BAR 来夢来人」(池田 文春)などのマンガ家
- 本庄さんと池田さんは、東京の千代田学院専門学校で同期
- 「トウキョウジンボチョウ 堀内 丸恵」
- 掲載時点の肩書は不明だが、集英社編集総務部部長
「イヴの許し」では、フィリピン人ホステスの斡旋業者に「木村」と名付けています。
あまり知られていませんが、「SEED」のコンビは「ピーチマン氏の優雅な毎日」(作:ラデック・鯨井/画:本庄 敬)でも組んでます。