講談社「TRANSIT トランジット」第 7 号で、長崎 尚志さんが「東欧ミステリーに導かれて」というインタビューを受けていました。
——実際に東欧に行かれたのはいつなんですか?
1988 年の 9 月ですね。
自分がヨーロッパを扱う漫画を担当しはじめたのが、ちょうど壁が崩れる直前くらいの時期。
なんとなく東欧には怖いイメージを持っていたのですが、実際に「東」を体験したいと思い、ドイツに行ったとき、東ベルリンへ。
——簡単に入国できたのですか?
1 日だけなら入れたんですよ。
その頃、壁は崩れていなかったけど、ちょっと自由化されはじめたとも聞いていたし。
でも、正直ナメていました。
——何か問題があったのですか?
入国と同時に尾行されていたみたいで、内務省警察に逮捕されかけたんです。
取材目的でもあったんで、クルマのナンバーとか、ソ連の大使館とか写真に撮っていましたから。
ただ、警察官がカメラ好きだったんで、カメラの話をしてごまかして逃げました。
入国審査やソ連大使館の出入りの様子とかも隠し撮りしていたので、見つかったら絶対にスパイ罪。
必死でした。
やっぱり共産・社会主義陣営は怖いところだと痛感しました。
浦沢 直樹さんと勝鹿 北星さんへのインタビューで紹介した小学館「ビッグコミックオリジナル」1994 年 6 月 20 日号では、勝鹿さんが似たような話をしていました。
豊富な情報を得る方法は?
本を読んだり、調べたりするのが好きなだけです。
実際に海外での取材もしましたが。
思い出すのはね、壁が壊れる前の東ベルリンでロシア大使館の写真を撮っていた時。
警官が「何をしているんだ」って。
「いや、興味があるだけで」なんて言ってもダメ。
地下鉄を出た時からずーっと秘密警察がマークしてたって。
電話ボックスとか変なものばかり撮るから(笑)。
しばらく帰してくれなかったですね。
これらの記事から、勝鹿さんと長崎さんは一緒に東欧取材したものと思われ、以下のようになります。
1988/05/20 | 「MASTER キートン」連載開始(1988 年 6 月 5 日号) |
1988/09 | 勝鹿さんと長崎さんが東欧取材 |
1988/11/20 | 欧州取材のため「MASTER キートン」休載(1988 年 12 月 5 日号) |
1989/11/10 | ベルリンの壁が崩壊 |
次は、「ハンサムウーマン」の掲載順序と収録順序です。