いしかわ じゅんさんの見解

いしかわ じゅんさんの単行本「漫画の時間」に、「MASTER キートン」が取上げられています。

毎回、ぼくらには無縁の考古学の知識を見事に生かして展開に絡めたストーリーが、原作者の勝鹿北星から提供される。
浦沢には、圧倒的構成力がある。
人物もうまいし構図もうまい。
つまり、絵がうまい。
その上、愛される絵柄を持っている。
このふたりのいい部分が相乗効果になって、非常に質の高い作品になっている。
ふたり分の力を合わせたことが、二倍にとどまらず、三倍にも四倍にもなって結実しているのだ。

この本は 1995 年に発売されたもので、初出は 1995 年 4 月の日本経済新聞です。

その後、噂の真相社「噂の眞相」2000 年 2 月号の記事を踏まえ、2000 年秋の文庫版「漫画の時間」では、以下の段落が加筆されています。

ところで、この作品は後になって、また話題になった。
原作料をめぐるスキャンダルで、編集者が原作を書いていたとか、勝鹿北星は存在しないとか、世間を騒がせたのだ。
ぼくは、勝鹿と会ったことがある。
いわゆる原作担当と作画担当という形とは違っていたようだが、この作品の成立と成功に、彼が大きく手を貸したことは間違いがない。

文藝春秋「週刊文春」2005 年 5 月 26 日号が発売されて 2, 3 週後のいしかわ じゅんホームページには、以下の近況報告がありました(現在は過去の近況報告を削除)。

「MASTERキートン」を巡って、いろいろトラブルが報じられている。
週刊文春でも、その真相のようなものが記事になっている。
でも、そのどれも、現在生きている片方の当事者たちの話だけを基にしている。
もう片方の当事者は、亡くなってしまった。
ぼくの聞いている話は、必ずしも現在流布され定説になりつつある話と同じではない。
勝鹿北星は、つまらない仕事もしていたが、いい仕事もあった。
決して無能の人ではない。
欠席裁判のような形になってしまいがちなのは、ちょっと残念だ。

「ぼくの聞いている話」が勝鹿さんから聞いたものなのか分かりませんが、「週刊文春」の記事とは違うようです。

2007 年 3 月 24 日に、朝日カルチャーセンター「ひとりでマンガ夜話」(受講料:会員 2730 円/一般 3250 円)が行われ、質疑応答のときに「『MASTER キートン』問題について、どう思われますか?」と質問したところ、「資料を持って来ていないので細かいことは言えないが、勝鹿に同情している」とのことでした。

「インターネットで調べてごらん」と言われたので、「それは、たぶん私のサイトです」と答えたら、いしかわさんは驚いた様子でした(笑)。

2008 年の「漫画ノート」では、「SEED」(作:ラデック・鯨井/画:本庄 敬)の項目で勝鹿さんに触れています(初出の記載なし)。

残念なことに、少し前に亡くなってしまったが、原作者のラデック・鯨井は、ペンネームをほかにいくつか持っていた。
『MASTER キートン』の原作者、勝鹿北星もそうだ。

『MASTER キートン』に関しては、実際には作画の浦沢直樹と担当編集者の長崎尚志の共同原作で、ラデック・鯨井の原作は出来が悪くて使えなかったという説もあるが、そのほかの作品を見る限りでは、ラデック・鯨井は充分にストーリーを創作する能力を持っていたと思う。

2 つ目は、夏目 房之介さんの見解です。