「イリヤッド」のアトランティス関連年表

「イリヤッド」(作:東周斎 雅楽/画:魚戸 おさむ)の単行本から、アトランティス関連年表を作りました。
なお、同じ年の出来事の順序は逆かもしれません。

「イリヤッド」のアトランティス関連年表
紀元前 10000 年頃 アトランティス滅亡(プラトン説)
紀元前 6 世紀 ソロン、アトランティスの歴史をエジプトの神官から聞く
紀元前 1 世紀 ディオドロス・シクロス、「ビブリオテーケー」でアトランティス伝説を面白く書く
ストラボン、「ギリシア・ローマ世界地誌」にイベリア地方について記述
3 世紀 アイリアノス、「ギリシア奇談集」(2 世紀後半の書物との記述もあり)にアトランティスそっくりの「ミダス王とセイレノスの対話」を収録
クイントゥス、「トロイア戦記」にトロヤ沈没を記述
9 世紀頃 ユリシーズ冒険譚の変形として、百合若伝説が九州や沖縄地方の島々に伝播
12 世紀 テンプル騎士団、ソロモンの神殿跡からアトランティスの場所と忌わしい秘密の手掛かりを発見
12 世紀頃 アーサー王と聖杯の伝説がクレティアン・ド・トロアの「ペルスヴァル、または聖杯の物語」で合体し、中世文学の最高の素材に
1191 「イングランド年代記」によれば、イギリスのグラストンベリ修道院でアーサー王の墓を発見
13 世紀 「パルツィファル」の作者フラム・フォン・エッシェンバッハ曰く「聖杯とは魔法の石なり」
1298 頃 ルスティケロ、マルコ・ポーロの話を書き記した「東方見聞録」を完成
14 世紀 ウェールズの修道僧が記した「グラスティングの書」によれば、アーサー王の墓には背の高い人物の骨と金属の器が納められていた
1311 教皇クレメンス 5 世、ヴィエンヌ公会議でテンプル騎士団を解散
15 世紀頃 コロンブス、ルスティケロ肉筆のスペイン語版「東方見聞録」を所有
1485 フランチェスカ・ピピノ、「東方見聞録」のロンバルディア方言本をラテン語に翻訳
16 世紀 ヘンリー 8 世の勅令で、グラストンベリ修道院を解体
1800 頃 ミハリス・アウゲリス、古老からジブラルタル海峡の外側で繁栄した後に海に沈んだ島についての物語が書かれた円盤を見せられる
1865 シュリーマン、日本に旅行
1871 〜 1883 シュリーマン、トロヤ発掘
1881 オーギュスト・ル・プロンジョン、「トロアノ写本」には沈んだ巨大な島のことが書かれてあったと発表(入矢によれば超ウソ訳)
1884 シュリーマン、鷹取 甲斐三郎に手紙を送り、意見を求める(現物は空襲で消失)
1889 ルスティケロの子孫、シュリーマンを訪ねて「『東より帰還せし御方の文書』は、『サラマンダー』と共に、『永遠の炎の教会』で眠りについている」と告げる
ル・プランス、シュリーマンの要請で旅行に同行してゴゾ島を訪問
1890 シュリーマン、ナポリで変死
ル・プランス、ディジョンからパリ行きの列車から姿を消す
19 世紀末 カール・ツァイツェッシュやエレナ・ブラヴァッキ、アーリア民族 = アトランティス末裔説
1912 パウル・シュリーマン、「ニューヨークアメリカン」に祖父の次の夢はアトランティスの発掘だったという手記を発表
1923 アドルフ・シュルテン、タルテッソスの指輪を発掘
1930 頃 エドムント・キスの小説「アトランティスの至福」(アトランティス = ドイツ人説)がベストセラー
1930 代 ヒムラー、チュニジアでローマ時代の共同墓地を調査
1934 ヒムラー、ヒトラーの「モーゼの契約の箱」「ロンギヌスの槍」「アーサー王の聖杯」「アトランティス発見」の勅命を受け、ドイツ古代遺産調査団を結成
1936 ヒムラー、ゴゾ島を訪問
1939 赤穴 秀行、ベルリン留学(1938 ヨーロッパ留学の記述もあり)後、古代遺産調査団に在籍
古代遺産調査団「アーサー王の聖杯」のオットー・ラーン、謎の死
1956 ヴィルヘルム・エンドレとティボール・コバチ、ハンガリー脱出
1970 チャーチワード「幻のムー大陸を求めて」東亜書房発刊
1970 代 マリナトスやガラノポウルス、クレタ・サントリーニ島 = アトランティス説を発表
1992 クロアチア独立戦争の攻撃を受け、バルカン半島のドゥブロヴニクのホテルの壁からパウルの日記を発見
1999 ハンガリー系オーストリア人が、ブダペスト郊外エチェリを訪れて日記を入手し、ヴィルヘルムが 2 年掛けて鑑定

魚戸 おさむ「イリヤッド」サイン本をご紹介します。