「勝鹿 北星さんは原作を書かなかった?」説の情報源
文藝春秋「週刊文春」2005 年 5 月 26 日号。
「勝鹿 北星さんは原作を書かなかった?」説の時期
2005 年。
「勝鹿 北星さんは原作を書かなかった?」説の内容
「週刊文春」の記事は、「超人気マンガ『マスターキートン』突如消えた不可解な理由」という見出しで、「MASTER キートン」の絶版理由に関する内容でした。
- 「MASTER キートン」が絶版になっている(事実)
- 勝鹿 北星さんは原作者として付いていたが、実際は浦沢 直樹さんと担当編集の長崎 尚志さんが作る話が主流であった
- 長崎さんの担当当時、勝鹿さんは原作を仕上げたことがなかった
- やがて、勝鹿さんが「原作を降りたい」と言い出した
- 印税は折半で構わないから、増刷分は勝鹿さんの名前を小さくすることに落ち着いた
- しかし、勝鹿さんと親しい雁屋 哲さん(事実)が抗議し、増刷できずにいる
「勝鹿 北星さんは原作を書かなかった?」説の真偽
この見開き記事の左下には勝鹿 北星ならぬ葛飾 北斎の広告があり、笑ってしまったのですが、記事の内容は笑い事ではありませんでした。
検証に入る前に、記事の登場人物と発言を整理します(登場順ではありません)。
- 浦沢 直樹さん
- 連載開始当時、「YAWARA!」(浦沢 直樹)を並行していたため、小学館「ビッグコミックオリジナル」編集部の判断で、勝鹿さんが付いた
- 実際は浦沢さんと長崎さんが作る話が主流であった
- やがて、勝鹿さんが「原作を降りたい」と言い出した
- 最終回は浦沢さんが考えた
- 2000 年頃、浦沢さんから出版停止を願い出た
- 長崎 尚志さん
- 長崎さんの担当当時、勝鹿さんは原作を仕上げたことがなかった
- 全部、長崎さんと浦沢さんで原作を書いていた
- 長崎さんが異動になってから、浦沢さんは事実関係を知った
- 漫画編集者 A
- 「MASTER キートン」が絶版になっている
- 関係者 B
- 勝鹿 北星という謎めいたペンネームが話題となった
- 関係者 C
- 勝鹿さんが原作を書いていなかったのは、周知の事実
- 浦沢さんが、「クレジットの名前を小さくしてくれ」と申し入れた
- 印税は折半のまま、増刷分は勝鹿さんの名前を小さくすることになった
- 雁屋さんと勝鹿さんは、「ゴルゴ 13」(さいとう・たかを)の脚本を書いていた盟友
- 雁屋さんが「勝鹿さんの名前を小さくすることは許せない」と小学館に抗議
- ヒットメーカーの雁屋さんが目を光らせているので、小学館は増刷できない
- 勝鹿 北星さんの友人 D
- 生前、勝鹿さんから「著作権を巡るトラブルがあり、絶版になった」と聞いた
- 勝鹿さんは「MASTER キートン」終了後、事あるごとに「長崎さんはもう俺のことを必要としなくなったんだ」と漏らしていた
- 勝鹿さんは、「締め出された」と感じていた
- 勝鹿さんの葬式に、小学館関係者は 1 人も来ていなかった
- 記者
- 上記発言を羅列しているだけで、地の文には情報なし
漫画編集者 A と関係者 B の発言をわざわざ取材する時点で、記者(署名なし)の程度が窺えます。
「MASTER キートン」の絶版は、遅くとも 2004 年春には都内複数の大手書店に「絶版のため棚に並んでいるだけです」との手書きの貼紙があったし、勝鹿さんの正体も読者なら気になって当然だからです。
この記者は知識がなかったために、地の文には情報を載せずに無難にやり過ごそうとしたのでしょうが、大きな間違いを数多く犯しています。
まず、これは一概に記者だけの間違いとも言えませんが、勝鹿さんの友人 D の「葬式に、小学館関係者は 1 人も来ていなかった」は、身内を中心とした葬儀だったのだから、身内に小学館関係者がいない限り当たり前です。
以下、上記発言のうち可能なものについて、詳細な検証に入ります。
なお、私は勝鹿さんと浦沢 & 長崎さんのどちらか一方の肩を持つ訳ではなく、中立です。
ただし、「週刊文春」の記事に事実誤認が多い上、浦沢 & 長崎さん側の取材しかしていないために、記事に反論すると勝鹿さん寄りに見えるかもしれませんが、誤解なきようお願い致します。
それでは、「MASTER キートン」の単行本/ワイド版/My First Big/文庫版を確認してみましょう。
- 勝鹿 北星名義の代表作
- きむら はじめ名義の代表作
- ラデック・鯨井名義の代表作